楔31本目 愛のために生きる

今日は18年来の知人女性と会食させていただいた。講演で国内を飛び回る傍ら、旦那さんの経営する会社の取締役を務めていらっしゃる女性である。4時間以上、みっちりお話をしていただいた。私のことについても真摯に話を聴いていただいた。

学んだこと、気づきは上げだしたらきりがないが、一つ上げるとしたら、愛に基づいて生きる、ということである。私は感謝と懺悔をエネルギーにして生きていると伝えた。その時に、愛と感謝と懺悔は言葉の波動がちがうね、と言われた。感謝は、人に何かをしていただいたから、私もこれをお返しします、という考え方。懺悔は、これほど私は何かを人にしていただいたのに、期待される成果を出すことができなかった、というもの。これに対して、愛は見返りがないもの。帰ってこないことを覚悟して与えること。これが大切であるとのこと。つまり、他社から何かしていただいたことに対する何か、ではなく、自ら相手に発信する善意であるという違いだ。

この点は、自力と他力の話ともつながる。愛の領域は、他力の世界である。他力の世界とは、自分の力だけで物事に対処するのではなく強い信念に対して、おのずと誰かが現れて必要な何かを提供してくださるというものである。稲盛和夫さん、天外伺朗さん、福島孝徳先生、みな同じ論理で動いている。宇宙のエネルギーをいただいているので疲れない。

私は理論から入っているのでこの話はとてもよく納得できるが、やはり私は愛がどういうものか理解できない。少なくとも自分の奥さんのことは愛しておらず、自分の子供は自分の子供だと思えない。自分の部屋のものや、職場の人でも好いと思う。とにかく楽しい雰囲気を出すようにしたり、目を見て笑顔で挨拶したり、ということでよいのだと思う。そして、気の合う友人と会食を重ねることだと思う。人は人からしか学べない。あらゆることが機械に置き換わってゆく中で最後まで人間を人間タラ占めるものは愛に他ならないだろう。

それから報酬と価値の話も記載しておきたい。報酬を追って仕事をすると疲れる。価値を求めて活動をすると疲れない。宇宙からエネルギーをもらえるから。「自分はお金のためでなく価値のために生きる」と決めているから、価値のほうからその時々にあった必要な出会いがあるとおっしゃっていた。私は、「お金のためにだけ生きる人生は避けたい」とは思ってはいたが、覚悟のレベルまでは至っていなかった。「魂の目標に対して110%の努力をしているか」とも言われた。私はそもそも魂の目標を定めていなかったし、努力もしていない。それは結果が出ないわけであると思った。

要約をすると、愛のために、自分の価値のために生きるということである。そのために自分自身の内面の「Voice」をよく聞くことが重要とのことである。私は変わらなければならない。