楔46本目 何としてもこれを成し遂げたいという意欲に欠けている

大学院の同級生のfacebookを見ていると、一部の同級生は自ら人を巻き込んでいろいろなプロジェクトをやろうとしている。私との差は何か。

彼らは決して素晴らしいビジネスモデルをはじめから描けているわけではない。しかしこの分野で何かやってやろうという強い熱量を持っている。そしてそのような高い熱量を持った人間同士が出会い、互いの熱量を感じあい、チームを結成することで、「何かが起こりそうな」チームができ、教員も巻き込んで雪だるまが大きくなってゆくのだ。私がそこにジョインできない理由は、私が土曜日に大学院に行けないからではなく、私の中でこの分野で何としてでもこんなことをやってやりたい、という熱意をこめられる何かを見いだせていないからだ。とはいえ今いる場所に希望を見いだせるわけでもなく、隣の青い芝を見つけるために必死で外の世界をうろうろさまよっているのだ。そして今いる場所で最低点を確保するために汲々として頭を悩ませている。5の力をクリアできないハードルを1の力でどうやって飛べないのか、飛べないのは上司のせいだ、未熟な組織の戦略のせいだ、などと理由を外部に求めて自らは何もしようとしなかったのがこの2年半だ。私が払わなければならない代償(=無駄にした時間×この2年半で失った信頼)は大きい。外に行きたい理由は、この失敗をチャラにしたいからではないか?一方で年齢的にもう外に出られない。右か左か究極の選択を迫られている。しかも左に道がある保証は一つもない。まだ道自体を勝ち取れていないから。