楔4本目 このblogを始めた理由②

PCに書き込み始めると、自分が亡くなった時のことを周りの人が回想するシーンが思い浮かんだ。あとから考えてみると、黒沢明監督の代表作「生きる」のような感じであった。よく、自分のありたい姿を描くには弔辞を書いてみるとよいというが、それをさらに客観的にした形であった。100歳の誕生日と、そのお祝い会までぎりぎり生き延びたという想定で、ストーリーが自動書記的にPCに打ち込まれていった。一時間程度で終わるはずが全く止まらず、旅館を出てからもすぐ紹介された喫茶店へ行きPCへ打ち込み続けた。観光地の喫茶店であるのでお昼過ぎ14時頃が最も混雑すると想像し、それまで粘った。そこからさらに、近くの中堅都市の喫茶店で21時まで粘り、8時間かけて約30000字のものを作成した。

 

都会の決まり切った生活を離れ、一人で一度も行ったことのない温泉街に突然ゆくことである種の幽体離脱状態になった。半日間、全てを忘れることで思考の固定概念を外し、自分の現状の能力、職歴に縛られない夢を描くことができた。

 

大切なのは実行だ。今の未来図は絵に書いたような餅のようなもので、現在の私の延長上にはない。このギャップを何とかして私は埋めなければならない。毎日自分のありたい姿を直視し、ギャップを埋め続ける努力をコツコツ続けるしかないであろう。そして実行よりもある意味大切なことは、掲げた夢を掲げ続けるということだ。人生は全てイメージ通りになるという人がたくさんいるが、この良いイメージ、特にこれが日常とかけ離れたものである場合、イメージし続けるのは困難である。そのためにもこのブログを毎日書き残し、日常に流されて忘れないようにしたい。その思いでこれから毎日ブログを書き残してゆきたい。